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(1)「王子」は精神の安全地帯

表情を隠しつくろいわが生きた一日(ひとひ)を木々たちはただ伸びる




 小さな森に囲まれた滝尻王子。国道のすぐそばなのに、見えないやわらかなカーテンで遮断されたように静かだ。岩に腰を下ろすと、富田川の水音が耳に届いた。

 これが「王子」か。威圧的な厳粛さはない。精神の安全地帯という感じ。いつまでも座っていたいが、こうしてはおれない。ここ滝尻から熊野本宮大社まで、一人で中辺路を歩き通すつもりだ。

 王子社の裏手から登り始める。するとまもなく、いつもの〈症状〉が出始めた。ふつう、山道を歩き、自然の中で汗を流せば、雑念が払われ、心が洗われて、日頃の悩みや俗な人間関係の苦労など、いつか忘れ去っている…となりそうなものだ。

 しかし私の場合は、どうも逆なのだ。黙々と足を運んでいると、悔やまれる失敗や、先送りしていた問題、人から言われた不愉快な言葉などが次々よみがえり、頭の中がいっぱいになる。なぜなのか。病気が治る過程で体が熱を出すのと同じように、このどろどろした感情の噴出も、心が治癒するための一過程なのだろうか。

 ふと、目の前に看板が現れた。「胎内くぐり」。組み合った巨岩の隙間をくぐり抜ける。昔から行われてきた土地の信仰だと書かれている。

 日常を振り払いたくて古道へ来た。だから何でも体験してみるつもりだ。それにしても「本当にここを?」と疑うほど、くぐるべきその空間は狭い。胎内くぐりと称する名所は各地にあるが、せいぜい腰をかがめれば通れるものが多い。

 だが、ここは違う。ギリギリの隙間に入ってみたら、出口はもっと狭かった。はいつくばらずにはいられない。うかつにもザックを背負ったまま入ってしまったので、ザックが天井につかえて出られない。

 後から人が来たらどうしよう。あせりながら、暗がりの中で背からザックを外し、苦労して外へと押し出す。次に自分がはって出た。背も腹も土だらけだ。動悸(どうき)がおさまらない。閉所恐怖症の人にはとても無理だろう。

 本当の胎内をくぐったときも、こんなに狭苦しかったのか。生まれ出てみれば、苦しいその記憶はリセットされていた。

 でも、たぶん、リセットしてもらえるのはその一度のみ。生まれて以降は死ぬまで毎日、心と体に大小の傷をつけながら、使い切っていくほかないのだろう。


旅人が過(よぎ)れば岩にいくばくの感触残る互(かた)みに残す




前途の厳しさを表すような木の根道

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