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明治維新150年 地域の歴史を未来に

 地域には誇るべき歴史がある。広く顕彰したい人物もいる。日本という小さな島国が開化期を迎えた明治維新から150年。地域に残る顕彰碑を訪ね、それが伝える歴史から学びたい。

 まずは、60年以上にわたって奨学金支給を続ける脇村奨学会のルーツを語る頌徳碑(しょうとくひ)。1892(明治25)年、田辺市の闘鶏神社前に建立された。

 江戸末期、田辺領の大年寄を務めた脇村友三氏(1813〜79)は幕末から明治初期にかけ、子どもたちに読書算術を奨励。自ら教えると同時に、私財を投じて生徒に賞を与え、時には食事を振る舞うなど人材育成に努めた。恩恵を受けた人は千人を超える。

 その精神を受け継いだ孫の市太郎氏が1957年に脇村奨学会を創設。以来300人を超える学生に奨学金を支給し続けている。

 その物語を伝えるのがこの頌徳碑。東京に住む脇村家の当主、仁樹さん(51)は、田辺に帰省すると真っ先に碑を訪ね、碑を建ててくれた人たちに感謝の気持ちをささげ、先祖の徳に思いをはせる。

 時代の経過とともに評価が高まっている史実もある。明治23年に串本町樫野崎沖で起きたトルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事件に際し、救難活動を続けた地元住民の話はその一例である。

 現場近くに殉難将士慰霊碑やトルコ記念館が建てられ、日本とトルコの友好の証しとなっている。

 同じ時代に起きた紀州の漁船遭難者の遺族が進めている石碑建立の話もある。明治25年、由良―新宮にかけての漁師749人が六十数隻でサンマ漁に出て遭難、229人が死亡・行方不明となった。八丈島に流れ着いた210人は島民に助けられた。126年後のいま、有志が八丈島に『感謝の碑』を建てる計画を進めている。

 碑だけではない。明治の歩みを次世代に伝える国などの「明治150年」事業で再評価された田辺市上秋津の左向谷川の「迫戸(せまと)の堰堤(えんてい)」は、明治に築かれた県内最古級の砂防堰堤の可能性が高いという。

 本紙の連載「明治の面影」でも、明治と現代のつながりの一端を顕彰碑を通じて紹介した。

 例えば明治22年、旧三栖村の初代村長に就いた西尾岩吉氏(1855〜94)の碑。就任後に明治大水害が起き、村の立て直しに寝食を忘れて奔走し、村民から「水災の救い神」と敬われたことを今に伝えている。

 扇ケ浜に建つ鳥山啓氏(1837〜1914)の碑は、新制学校用教科書作りに力を傾け、古い学問から新しい学問への橋渡しをした氏の功績をたたえている。氏はまた「軍艦マーチ」の作詞者としても知られている。

 それぞれの碑の一つ一つが先人たちの汗と涙と知恵を物語る。

 しかしいま、その多くが風化しつつある。もったいない。こうした碑を建てた先人に思いをはせ、歴史に思いを巡らせたい。そこには地域の未来を築くヒントが数多く残されているはずだ。 (N)


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