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昭和南海地震から70年 先人の知恵語り継ごう

 21日は、昭和南海地震から70年の節目。あの地震で県内では269人、田辺市で69人が死亡、その多くは津波の犠牲者だった。

 将来、南海トラフ地震が起きた時、津波から逃げ切るにはどうすればよいのか。70年前の悲劇を風化させないよう、紀伊民報は津波被害が大きかった田辺市の新庄町や文里地域に当時住んでいた5人を取材しその証言を連載した。

 新庄町の沿岸部では、津波で家屋の多くが流失し、製材工場の木材が内陸に散乱した。当時あった造船所の船も打ち上げられ被害を拡大した。旧新庄村の9割近い世帯が被災したと伝えられる。

 体験者の証言では、大きく揺れた直後に、近隣の住民が「津波が来るから早く逃げろ」と声を掛け合っている。その声に促され、着の身着のままで高台に避難している。地震の後は津波が来る。大きく揺れたらすぐ高い所に逃げよ、との教訓が地域に根付いていた証しだろう。

 市内で最も死者が多かった文里地域でも、住民は即座に逃げて助かった。犠牲になった37人の多くは、近くにあった引揚援護局に赴任していた職員とその家族。彼らは津波来襲への心構えがなく、土地勘がないため逃げ場を誤ったのではないかとみられている。

 新庄町と文里地域では近年、防災の取り組みが進んでいる。

 新庄町は、新庄公民館が災害記録集をまとめ、新庄中学校は「新庄地震学」に取り組んでいる。近年、防災教育を顕彰する「1・17防災未来賞『ぼうさい甲子園』」などでも大きな賞を受けている。

 文里地域は、市内でいち早く住民による自主防災会を発足させ、手作りの海抜表示板や避難路、防災マップを製作し、全国から視察が相次ぐ防災先進地となった。

 だが、東日本大震災から1年後、国は南海トラフでマグニチュード9級という最大級の地震が起きた場合を想定、津波高や浸水域などをあらためて推計した。その結果、紀南沿岸部の防災対策は根底から覆された。県内の自治体は公共施設の高台移転や津波避難タワーの建設などを進め、被害を減らす対策に苦心している。

 田辺市は、新たな想定によって津波の到達時間までに避難するのが難しい地域として芳養、目良、江川、会津川左岸、文里の5地域9地区(801人居住)を公表。来年度から、津波避難タワーの建設や避難路の整備などの対策を進める。市役所庁舎の高台移転計画も具体的に検討している。

 国や県も大きな予算を投入し、対策を進めているが、それだけでは限界がある。そこに住む人たちが「わがこと」と考え、行動してこそ被害が防げる。

 振り返れば、紀伊半島は約90年から150年の周期で地震と津波に見舞われている。先人はそうした厄災に学び(1)何を置いても逃げる(2)「逃げろ」と互いに声を掛け合う、という知恵を伝えてきた。

 その知恵を伝え、防災の先進地を目指そう。それが命を守る最善の策である。 (N)



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