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「公に尽くす」

 江戸末期、田辺領の大年寄に登用され、町の行政を担当した脇村友三(1813〜79)について「田辺町誌」(昭和5年発行)に次のような記述がある▼「9歳にして父を喪い…元服して商業に勉励す」「亡父相伝の負債多かりしが(元服から15年後に)完済」「安政3年、大年寄となり、職務に専念」「その間、市中の少年児童に読書算術を奨励、自費を以て優等者を賞す。これがため就学するを得し者千名を下らず」▼明治に入り、大年寄制度の廃止に伴って職を辞し、その後は郷校頭取、田辺小学校創建の世話係などを務めた。驚くのは子孫への家訓に「年々金子を積置き、それが34両2歩になれば上納いたし」と書き残していること。34両は、現在の貨幣価格に換算すると約1千万円。それがたまるたびに社会のために寄付せよとの遺訓である▼それから約150年。いまは連日、政治家や実業家のお金を巡る醜いニュースが新聞紙上をにぎわせている。政務活動費を巡る政治家の不明朗な取り扱いや官民ファンド、産業革新投資機構の高額報酬問題…▼人間の価値は、どれだけお金を稼いだかではなく、この社会にどれだけ多く奉仕したかによって決まる。そのことをよく理解していたのが脇村友三翁であり、その徳を慕って闘鶏神社の社前に頌徳碑を建てた名もなき庶民であろう。さらにいえば、今も奨学生を援助し続けている脇村奨学会もその遺徳といえよう。(石)


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