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「山崩れと大水害」

 1889(明治22)年8月、紀伊半島南部に集中豪雨があり、県内で1247人の犠牲者が出た。とりわけ西牟婁郡の被害が大きく、906人が亡くなった。

 ▼『田辺市史』によると、8月20日だけでも902ミリ、その前の2日間を合わせて1295ミリという豪雨だった。長雨で地盤が軟らかくなり、保水力が飽和状態になっていた、大規模な山崩れでダム湖ができ、それが決壊して下流の人口密集地に大きな被害を及ぼした…という記述がある。

 ▼田辺市上秋津の友人に聞いた話も、このことを裏付ける。6、7年前、梅を植え替えるため、重機で梅畑を2メートルほど掘り返したら、炭化した稲があちこちから出土したという。明治の大水害で、付近一帯の水田が高さ約2メートルに及ぶ土砂で埋まったことを裏付ける証拠である。

 ▼集中豪雨と山崩れは恐ろしい。それは7年前、紀伊半島の各地で起きた大規模な深層崩壊が証明している。そんな山崩れの兆候がいま、田辺市の奇絶峡付近の山の斜面に出ているそうだ。

 ▼和歌山森林管理署などが確認し、県からの要望を受けて対策工事を進めている。田辺市も先日、地元住民に説明会を開き「急を要する危険な状態ではない」と説明した。同時に万一、土石流が発生したり土砂ダムができたりした場合の避難などについての備えを呼び掛けた。

 ▼会津川の流域で暮らす人たちにとって、震え上がるような話である。梅雨を前に警戒が怠れない。 (石)


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