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「芭蕉」

 一方的に美化していた初恋の女性の顔を後年、じっくり見てがっくりしたとでも例えようか。私の芭蕉観が変わった。

 ▼俳句通ではなかったが、芭蕉は私には詩聖だった。よくその足跡を訪ねて往時をしのんだ。「古池や蛙飛び込む水の音」は、外国の日本通の間でも圧倒的な人気だった。

 ▼語学を専攻していた私には、カエルが単数か複数かで真剣な議論があったのは興味深かった。日本文学の権威の間でも、ラフカディオ・ハーンは複数説、サイデンステッカーは単数説だった。単数か複数かで句の印象はガラリと変わる。世界化の過程での不可避な議論でもあった。

 ▼最近、俳句通の知人に勧められて芭蕉研究歴60年という作家、嵐山光三郎氏の著書を2冊読んだ。同氏と女優の冨士真奈美さんによる雑誌『波』の対談では、芭蕉には幾つもの顔があることを教えられて仰天した。

 ▼例えば、芭蕉は幕府の密偵で諸国行脚には必ず情報収集の密命が伴っていたという。性的には利発で端正な若者好みだったともいう。性の多様性を認めるのは、世界の流れになっているが、芭蕉はとうに先端を行っていたのだ。

 ▼明石で読んだ句「蛸壺やはかなき夢を夏の月」は、明日引き揚げられるとも知らない蛸(たこ)のはかない運命を詠んだ句であり、大好きだった。ところが嵐山氏によれば、美青年の杜国を同伴した旅であり「愛人と蛸壺に入り、名月もくそもない」という。ああ無情。(倫)

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