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「学生運動の闘士たち」

 私は東京郊外の多摩川沿いに住んでいる。先週、その下流で評論家の西部邁氏が自殺した。1960年安保闘争時の全学連指導者の一人だが、転向後、東大教授を経て保守派の論客となった。ごまかしや虚栄を嫌悪、権威におもねる人を軽蔑した。

 ▼最近死亡した塩見孝也氏も1970年代、よど号ハイジャック事件やあさま山荘事件を起こした赤軍派の元議長だ。生涯、世界革命の夢は捨てなかったが、服役後、60歳を過ぎて駐車場警備員になった。この時「働く意味を初めて知った」という。

 ▼ある時、私は安保闘争のリーダー、唐牛健太郎氏と飲んだ。彼は私のような「ブルジョア新聞」の記者とも気軽に付き合った。その後、居酒屋店主、漁師など放浪の末、1984年に死んだ。

 ▼彼はある日、歌手、加藤登紀子の夫である元三派系全学連委員長の藤本敏夫氏を連れてきた。彼は加藤とは獄中結婚で、初デートの時に森繁久彌の『知床旅情』を歌って加藤に聞かせた。出所後、有機農場を営んだが、2002年に死んだ。

 ▼彼は私に非常に良い印象を与えた。「加藤が恋に落ちたのも当然」と思った。彼女の『知床旅情』はその後、ミリオンセラーになった。私の持ち歌にもなり、よく歌っては藤本をしのんだ。

 ▼人生には曲折がある。西部氏の口癖は「良い女性が一人、良い友が一人、良い思い出が一つ、良書が一冊あれば満足」だった。曲折を経た人の言葉は味わい深い。 (倫)


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