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「戦時下の中学生」

 先日、兵庫県三田市にある母校から届いた同窓会報を読んで衝撃を受けた。そこに寄せられた旧制中学校時代の30〜32回生、つまり昭和16〜18年の入学生12人の回想記の内容に驚いたのである。

 ▼30回生の一人は「学校で勉強できたのは3年間だけ。4年生になると伊丹の工場へ動員となり、爆弾のつり輪に穴を開けて組み立てる仕事をした」「4年生で繰り上げ卒業。卒業式には軍籍に身を置く者も多く、参加できる者は少なかった」と書く。

 ▼別の一人は「結核で1年留年、2回目の3年生の時に動員で尼崎の工場に勤務。毎朝4時半に起きて汽車で通勤したが、敵機の度重なる攻撃を受けて工場そのものが中学校に移転。そこで働いた」と書いている。

 ▼学業を中断して陸軍特別幹部候補生や海軍の予科練に志願する生徒も多かった。19年8月に予科練に入隊し、高知の土佐湾で陣地造りをしている時に終戦を迎えた卒業生は「今となっては何もいいたくない。しかし、戦争は絶対にあってはならない」と書いている。

 ▼戦時下の学校は戦争が極めて身近だった。実際、僕が学んだ昭和30年代でも、校内に大きな防空壕(ごう)が残り、大きな松の幹にはすべて、軍用の松根油を採集した痕跡が残っていた。軍隊帰りの教員による鉄拳制裁もあった。

 ▼そういう時代を回顧した人たちがすべて「二度とあんな時代にしてはならない」と口をそろえている。心に刻みたい伝言である。 (石)



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