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「新聞記者に与ふ」

 田辺市の「あおい書店」社長で歴史資料収集家でもある多屋朋三さんから古びた史料を拝借した。表紙には「新聞記者を志す青年に与ふ」とあり、A5判大のざら紙24枚に達者な字が書き込まれている。

 ▼筆者は下村海南。和歌山県の出身で逓信省の貯金局長などを務め、大正10(1921)年から朝日新聞の専務や副社長。その後、貴族院議員や日本放送協会会長として活躍。終戦時には鈴木貫太郎内閣の国務大臣として日本の降伏を伝える玉音放送の実現に尽くした人でもある。

 ▼文書はまず健康に留意せよ、四六時中敏活に動き、第六感を働かせることが大切と説く。具体的には事柄のもう一つ奥を見分け、内容をかぎ分ける能力が必要であり、そのためには「相手にぶつかり、煙たがる、逃げる、隠れる者を追いかけ、黙する者、はぐらかす者の泥を吐かさせしめねばならぬ」と続ける。

 ▼「新聞記者の生命は、正確と公平にある。権貴にも威しにも屈しない、しかもそこに人間味を持ってゐる」という言葉もある。明るい心を持ち「絶えず研究を続け、人一倍骨惜しみしない」とも記している。

 ▼末尾に(二、八、四)とあるから、昭和2年8月に書いた文章だろう。90年後のいま、数多くの朱筆の入った文章を読みながら、さて、現在の新聞人はと問い掛ける。そして、事柄のもう一つ奥を見分ける能力を磨き、正確、公平、人間味を持った記事を書かねばと、改めて誓うのである。 (石)



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